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二荒神社祭礼が行われます!

こんにちは☆彡

高橋電気です♪

毎年7月14日~15日は小千谷の本町にある二荒(にっこう)神社の祭礼が行われます。

二荒神社祭礼は歴史も古く、山の神(天狗)を中心に、牡獅子・牝獅子・子獅子の3頭と子供たちが舞う「豊年獅子舞」と、爺と巫子の人形が屋台で演じる「巫子爺(みこじい)」が演じられます。
「巫女爺」は県指定無形民俗文化財に、「豊年獅子舞」は市指定民俗文化財に指定されています。

今回はその様子を少しご紹介いたします。

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豊年獅子舞

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豊年獅子舞

豊年獅子舞(ほうねんししまい)は、以前は小千谷市下タ町(元町)にあった諏訪神社の祭礼で舞われたていたものです。明治42年(1909年)10月、諏訪神社が本町の二荒(にっこう)神社に合祀(ごうし)されて以来、毎年7月14日~15日の祭礼に舞われています。この獅子舞についての来歴は明らかではありませんが、江戸時代後期に縮布文化の一つとして伝来したものではないかといわれています。獅子舞についての最も古い記録としては天保12年(1841年)の物が残っています。

歌曲は七曲あり、山の神(天狗(てんぐ))を主体に日輪(にちりん)を象徴した日傘(ひがさ)を中心に、牡獅子(おじし)、牝獅子(めじし)、仔獅子(こじし)の三頭が舞うもので、囃子(はやし)には、太鼓(たいこ)・笛(ふえ)・簓(ささら)の楽器が用いられていましたが、簓は現在使用されていません。

獅子舞の種類は、現在では岡崎の舞、かくだいの舞、かくすけの舞、仕組の舞、橋渡の舞、蔦(つた)渡の舞の6曲があり、昔あった取組みの舞、牝獅子かくしの舞は近年では上演されなくなっています。
囃子の途中で時々歌われる歌詞は関東を中心に東北地方に分布する三匹獅子と同系のものだとも言われています。

(小千谷市HPより)

豊年獅子舞

豊年獅子舞

この度、偶然に通りかかり思わずパチリ☆

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巫女爺(みこじい)

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巫女爺

屋台人形巫女爺(みこじい)の伝来については不明ですが、伝説によれば江戸時代後期に「風長」という旅人宿に山伏(やまぶし)風体の男が滞在し、数日後に宿を去るにあたり宿賃の不足分として置き去ったのがこの人形(爺)の首の起こりだといわれています。

現在では爺と巫女の二つの人形を使いますが、以前は爺のみであったといわれ、爺は座姿で首・手・目・舌が動き、顔の表情は常時喜悦(きえつ)を表現した彫(ほ)りの深い作りです。巫女は立姿で手・首・足が動き、体全体の動作は屋台の下で操作します。

小千谷市の横町(平成町)から周辺各地に広まり、現在11団体が活動を行っています。市内には4団体があり、それぞれ活発に活動しています。
巫女爺の呼び名はさまざまあり、ミコジイ、メッコンジサ、ミコジサなどとも呼ばれています。

爺の首は、当初のものがなく、二代目か三代目です。からくり、形からみて淡路人形の系統といわれます。また歌曲は全部で十曲あり、囃子(はやし)は、太鼓・三味線・笛などを使用します。(7月13日~15日の二荒神社祭礼で演じられます。)米沢の俳人遅日庵の「小千谷行日記」文化元年(1804年)で二荒神社祭礼の様子が紹介されています。その中で南京あやつりとあるものが巫女爺ではないかと思われます。

(小千谷市HPより)

巫女爺

巫女爺

コミカルな動きで舞う巫女と爺。

演目が10曲ほどあるそうです!!

昼間の巫女爺をみたのは正直初めてでしたが、昼間の方がよく見えていいですね♪(個人的な感想ですが)

ちなみに夜の巫女爺はこんな感じです↓↓↓↓

巫女爺

数年前に撮影しました。

夜の巫女爺はちょうちんの灯りに照らされ幻想的なのですが、幼心に少し恐怖を覚えた記憶もあります^^;

私は小千谷に生まれ小千谷で育った生粋のおぢやんしょ。。。と思っていたのですが、初めて豊年獅子舞と昼間の巫女爺を目撃しました!!!!

また、歴史も古く調べていけば調べてゆくほど感動が込み上げてきました!!

知れば知るほど素敵な小千谷☆

是非皆様も小千谷に遊びに来てくださいねっ♪♪

投稿日:2014 年 7 月 15 日